能登半島地震(のとはんとうじしん)は、2024年(令和6年)1月1日16時10分(JST)に、日本の石川県能登半島にある鳳珠郡穴水町の北東42 kmを震央として発生した地震。
能登半島地震 (2024年) – Wikipedia
この地震により、石川県志賀町では最大震度7を、その他の広い地域でも震度6強~4を観測しています。
現在もこの地震による余震が続いており、2日経った1月3日(作成日)でも緊急地震速報が2回出されています。
ここからは私の体験したことを書いています:
1月1日 親の実家は石川県にあるため、ちょうど滋賀から石川県に来ていました。
16時ごろ、私は初詣から帰ってきてパソコンで作業をしていました。
16:06 (前震)緊急地震速報 発表 最大震度5強
実は2023/5/5の地震のときも石川に来ていたので、大きいなーと思いつつ、私がいた場所は震度3で、そこまで揺れませんでした。
ここで、これが前震かもしれないと思った私は、その後に地震のアプリ(JQuake、P2PQuake)を開き、テレビをつけました。
16:10 (本震)緊急地震速報 発表 最大震度7
アプリケーションが立ち上がる(地震検知)と同時に、スマホとテレビから緊急地震速報の音が鳴り響きました。
数秒後、家は揺れだし、電気が一瞬消えたり、窓がガタガタ音を立てたりしていました。弟がこたつの中に隠れているのにも関わらず、私はパソコンを眺めながら必死に地震を知らせようと叫びました。
当時親は外にいましたが、築およそ100年の実家の屋根は大きく揺れていたようです。
幸い、家具は特に何も倒れず、家族の中での怪我はありませんでした。
以下は地震発生から数分経った後に撮影したJQuakeのリプレイです
実際には震度4~5弱の揺れが家を襲いました。
その後も何度も大きな予震と小さな予震が繰り返し発生し、緊急地震速報が同時に発表されたりしていました。
16:20 大津波警報 発令
もう、パニックでしたね。
自分の家に津波が来るのではないか。でも今外に出てしまうと色々と危険。どうしたらいいのかわからず、結局私たち家族は家にとどまりました。
結局のところ津波が近くに来ることはありませんでした。
18:30頃 別の家へ移動
もう1人のおばあちゃんの家に移動しました。そこは海に近かったので、少し心配でしたが、そもそもおばあちゃんが地震が怖くてたまらなかったようで、安心させるために向かうことになりました。
特に何事もなかったようで良かったです。
23時 就寝
布団に入ると安心します。何も無くても揺れている感じ(長い間船に乗っていた時みたいな)がして気持ち悪かったです。何度か余震で目が覚めました。結構怖かったです。
1/2 朝 起床
こうして無事朝を迎えられることに感謝。
津波警報が解除されていて、津波注意報に切り替わりました。
残念ながらテレビがないので、YouTube(確かTBS)のライブで情報を仕入れていました。
…これは酷い。すぐ近くなので救助に向かうべきかと思いましたが、危険だしキャパシティがあまり大きくないためそもそも自治体がそれを受け入れない姿勢を見せていました。
1/3 滋賀に帰る
無事に帰って来ることが出来ました。
6/5追記 6/3 6:31頃の余震について
私はこのとき滋賀県にいたのですが、過大評価?でこちらの方でもスマホから緊急地震速報が鳴りました。
明らかに過大評価だと思います。実際に観測された最大震度は5強、滋賀県内での最大震度は2です。
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